ロボコンチームでの新入生教育難しすぎる問題はProject Based Leaningで救われるのか?
📝

ロボコンチームでの新入生教育難しすぎる問題はProject Based Leaningで救われるのか?

Tags
教育
雑記
RoboCup
Published
May 22, 2022

初めまして

新入生教育むずかしすぎて頭を抱えています。
富岡大貴です。ロボコンに関して言えば高2の時にRoboCup2019の世界大会でSoccer LightWeightで3位を獲った経歴があります。
ハードもソフトもやってるジェネラリストです。
先日ツイートをしてしまったのですが、いいねが沢山つきました。多分本質で、みんなこれに同感なのでしょう。
教育難民の悲しい戦争を終わらせるためにも記事を書いてみようと思います。

狂気とは

僕が知っている狂気はこれ
「僕がやらなくちゃ。僕がやらなくちゃ。僕がやらなくちゃ。僕がやらなくちゃ。」
または
「めっちゃ楽しい!めっちゃ楽しい!めっちゃ楽しい!めっちゃ楽しい!」
である。
かっこいい先輩は楽しんでやっている。進捗を背中で語る感じ?かっこいい。憧れの先輩。
満身創痍で頑張っている先輩は、人員不足などで苦しんでいる。自分がするしかない状況になっている人。常に余裕がなさそうな顔をしている。「先輩は幸せそうに見えません、私たちはあなたを目指さないといけないですか??」とツッコまれそうだ。
でも実際、なんだかんだ楽しんでいる人も多い。しんどい先に楽しいが待っていると信じて頑張っている人もいる。つまりどちらもという人も存在する。
ここでいう狂気担当とは自走ができるプロ人間である。自分で調べて自分で解決。Twitterで玄人エンジニアに質問をしたりができる人のこと。あと自分のやってることのハンドルをちゃんと握っていて責任を取れる人。そんな人育てたいわけがだが、難しすぎる。

出る杭はガンガン立てる。そんな教育をしたい。でも。

出る杭はガンガン立てる。
好きなことをめっちゃ伸ばしてもらいたい。
そうやってみんなプロに近づいていく。そんな気がしている。
しかし現代の義務教育は、「出来る人を抑え、ついて来られない人に足並みを揃える」をする。
世間では悪い風潮だと義務教育を批評する声もある。
しかし、出来る人を伸ばしつつ、ついて来れない人をサポートをしようとするのはなかなか難しいのも事実。それはそうとしかいえない。世の中は複雑である。

実際に教育はどのように大変なのか

教育現場でどのようなことが行われているか見ていきましょう。
一人一人の理解度を確認しつつ、効能のある教育コンテンツを一人一人に対して考え、理解度の測り、教え方を考え直す。教育をする側は教え方が自分の生存バイアスに左右されるのでメタ認知が必要で自分との対話コストが高い。 このように教えたら伝わるかもしれないなと考えながら指導をするが、相手との対話が足りないままで進めると押し付けにつながる。相手に期待しながら教えてしまう。それは教える側のエゴとなり、「なぜわからないんだ」と匙を投げることもある。 資料作成も時間がかかる。文字は読みたくないと言われる。スライドは見づらいと言われる。内容よりも見せ方に拘らないといけない。
もちろん他にもあるだろう。
ここで言えるのは、私たち教える側に余裕がないと教育は難しいということである。
出る杭はガンガン立てるには、相手の長所を見極め、レベルにあった課題を作成し与え、成功体験を積ませることが有効だ。
質問が来たらすぐ返し、どんどん学びを進めさせる。
そんなことをしていると自分の時間がどんどん削られる。
教える側に余裕がないと教育はうまくいかない。
出る杭はガンガン立てる教育方法は非常に贅沢品だ。

教育で何をさせたいのか

現状できそうな教育スタイルを3つ書き出してみた。
📌
ハード専門、ソフト専門、回路専門で部門を作り、全部できるジェネラリスト育成はしない。
専門家集団なのでハイレベルな物を作れる確率は増える。しかし技術に関する話題に共通概念がないとコミュニケーションできないので集まらないと物が作れない。)
📌
足並みをそろえ、都合のいい歩兵を作り上げる。専門家には劣る。
誰もがハードもソフトも回路もできるが、専門家ではないが故にどれも中途半端。しかしハードとソフトが融合した開発を進めることができる。技術コミュニケーションがしやすい。一人でも作れるし、一人で作ったものを途中からみんなで作るのもできる。)
📌
「教育」をしない。指導(コーチング)はする。自由に好きなことに挑戦し自分で学んでもらう。0→1頑張ろうスタイル。
狂気がないとやっていけない。専門にもなれるしジェネラリストにもなれる。自走できるプロにいずれなれる。教育とコーチングの違いがあるのに注意。
どれがいいのだろうか。みた感じ絶対的な教育方法なんてなさそうだ。
全てはトレードオフ。何かを得るために何かを捨てなければならない。
それは教育を与える側も同じで、教育をするなら自己成長を捨てる覚悟を持たなければならない。
 
聞いた話だが、世のロボコン団体でよくあるのが「後輩をこき使う」みたいなタイプもあるらしい。加工は全部後輩にさせて先輩は設計などの上流工程しかしない、なんていうのもあるらしい(某高専OBからお聞きしました)

義務教育を考察してみる

私たちは組織で動いている。チームで動いている。
教育カリキュラムを組むなら、まずは組織をどう動かせたら理想なのかを考え、それを元に教育方法を練るべきだろう。
ではまず、日本のこれまでの経営スタイルについての考察を見ていこうと思う。
日本の経営がどんな人員たちで回っていたのかに関する考察 一人の創業者が発明をし、利益を生み、その利益から数名の優秀なエンジニアが次の発明をする。 エンジニアリングができない社員ももちろん会社に属している。 その社員たちは営業部として出張をし売り込みに行く。 利益を産むためには発明家だけではやっていけない。 それで日本では売り込みに行かせるための使いやすい人材を大量生産するための義務教育ができた。 しかし義務教育はレベルを平均化してしまった。同じような思考を叩き込まれ、個人に色がない。物を生産するには発明家タイプの人間も必要である。このような平均化教育を施し、日本は物を発明するタイプを見事なまでに0にした。
このツイートが興味深いので参考にしました。内容をお借りしています。

義務教育が悪ということではない

(このツイートでは一見日本の義務教育がダメなように思えてくるかもしれないが、それは違う。
ソフトウェアの進出により営業舞台は少人数で大丈夫になり、単純雑務をする人間の需要と供給バランスが崩れてしまっている内容がが書かれている。
アメリカでは発明家教育がいいという風には書いていないのも切り分けてほしい。
ロボコンはハードウェアとソフトウェアを扱うので、義務教育の良し悪しは見ないことにする。
相性がいいか悪いかというだけで、絶対的な悪ではない。)

全員を強くする平均化教育はできるのか

私が所属しているRi-one SSLで例を考えてみよう。
まず私たちの目標はロボカップで世界1を取ることだ。
プロ技術者を目指すことではない。ここは技術者養成学校ではない。
「全員を同じレベルに教育をして、全員強くすればチームは強くなるのでは?」
と思うかもしれない。それはそう。しかしそれは実現可能だろうか?
これだと教育をする側と教育を受ける側にも狂気が必要になる。
まず教育受ける側には、「気になることは自分で調べて空き時間に解決し、教えてもらえる時間は先輩からしか学べない知恵を教わる」というような、スタイルができることが求められる。
超自走・超自発的な知の欲求が前提にある。それができる人はもうプロだろう。
まず相手に自走できることを期待するのは危険である。
 
まあ実際、最初からプロ(自走できる人)はいない。
プロになってもらうためにコーチングだけを行い、新入生にすくすく育ってもらうもは困難だ。
ではどうするか。

自分が興味あることを見つける。Project Based Leaning

まず自分が何が好き/したい/得意なのかを自認する必要があると思う。
そこでProject Based Leaningという学習スタイルで学ぶ。PBL型学習と世間では呼ばれている。
PBLとは、簡単にいうと何かプロジェクトで手を動かしながら試行錯誤をし、その過程で「知恵」「知識」を身につけていくスタイルのこと。また手で操作しながら理解する学びができるというのも特徴だ。
例えばカリキュラムを出すとしたらこんな感じだ。
📌
ロボットを0→1ではなく、0.8くらいの半完成から設計し、用意された基板にハンダづけをする。そして自分でロボットを組み立て、軽く操作方法についてレクチャーを受けさせ、ミッションを与えロボットを動かしてもらう。できたら次のミッションに進み、ミッションをクリアするためのヒントをレクチャーで学ぶ。これの繰り返しを行う。
  • 知識ベースの質問は調べる
  • 知恵ベースの質問は聞く
をちゃんと切り分けておくと自走人間になれると思う。

PBLでは知識だけでなく知恵もつく。

大学の講義は「知識」を一方通行で伝えるだけの学習であるが、講義だけだと知恵は身につかない。
一方PBLは、少なくともフル講義よりも思考の余地があるのが特徴だ。うまくいかない時は自分で調べるのもあり、友達同士で相談するのもいいと思う。相談するのにも知識が必要になり、説明するのにも学んだ知識を応用しなければならない。何かしらの形で双方に学びがある状態だと言える。実践をともなって学ばなければ身につかないという問題を解決してくれる。
ミッションを達成することよりも、ミッションを達成する過程に意味があるという見方もできる。
 
PBLには「学び方を学ぶ」もテーマにあるかもしれない。知識は調べ、知恵は聞く。例えばTwitterで先輩技術者に自分から質問をするというような超自走人間になれるとプロだと言える。
 

でもみんなプロにはなれない。そこでチームという考え方

とはいえ、みんながみんなプロになれる可能性は低いのも事実。
しかし、残念ながらプロ開発者だけでチームは回らない。実はプロを支える人もまた必要なのだ。
プロ研究者を支える人たちは役立たないなんてことはない、それは虚言だと僕は思う。
プロの人に研究開発をゴリゴリ進めてもらうためにも、加工や発注、検証(デバッグプレイヤ)やチームのスポンサー獲得資金調達、プロジェクトマネジメントなど、組織を前に動かすためにしなければならないタスクが山ほどある。私たちはチームで活動しているということを認識し、プロ研究者じゃないことを悪いことのように思うのはチームにとって悪だと言える。
プロになれなくてもあなたは誰かの役に立っている。私たちの成果は私たちのみんなのもの。

結局PBLで教育難しい問題は解決できそうか

世の中に絶対なんてものはない。
普通にPBLのカリキュラムを組むのは大変だし、何事もトレードオフだ。
PBLを通して自分の得意なものが見つかればそれを極める道に進めばいいだろう。それにロボットはソフトとハードの複合分野だ。PBLではハードもソフトも扱うため、分業制より問題解決のやり方に具体性が生まれる。どちらの分野についても調べる方法は身についているはずだから人員不足も解決しそうだ。
自走プロ人間も育てられそうだ。
またチームで活動するならPBLはコミュニケーションが必須になるだろうし、組織全体に対して有効だと思う。

最後に

皆さんの考え方についても教えてください。教育むずかしいんご。
あと時給のいい開発系バイト・インターンをを探しています。貧困すぎて開発もろくにできていません。家賃と食費を払うことが難しいので助けて欲しいです。もし助けてあげたいと思っている方がいらっしゃればTwitterのDMかmessengerに連絡いただけると嬉しいです。